「定年になったけど、なにをしてよいかわからない。40年間仕事一筋でやってきました。定年退職になってふと我に返ると、やりたいことも、これと言った趣味もありません。」と戸惑っている人の問題を解決します。
そのような人に打つ手付けなのが、歴史上の偉人の人生を見てみることです。今回紹介するのは「一身にして二生を得た」と言われる伊能忠敬を紹介します。
第二の人生の道標になります。
私も後わずかで定年退職になります。今後の人生をどう生きていくか模索しています。ふとしたことから伊能忠敬のことを調べるようになり、私見を含めて記事にしました。
「伊能忠敬」略歴
1745年(延享2年) 上総国山辺郡小関村の名主・五郎左衛門の家で誕生する。
1751年(宝暦1年) 6歳 母が亡くなり、婿養子だった父は実家の武射郡小堤村の神保家に帰る。
1755年(宝暦5年) 10歳 父の実家・神保家に引き取られる。
1762年(宝暦12年) 18歳 下総国香取郡佐原村の酒造業を営む伊能家に婿養子に入る。
1794年(寛政6年) 50歳 家督を長男景敬に譲り、隠居する。
1795年(寛政7年) 51歳 江戸に出て幕府天文方の高橋至時に暦学や天文を学ぶ。
1800年(寛政12年) 55歳 第1次測量 奥州・蝦夷地方面を測量
1801年(享和元年) 56歳 第2次測量 奥州街道方面を測量
1802年(享和2年) 57歳 第3次測量 陸奥・越後方面を測量
1803年(享和3年) 58歳 第4次測量 越後・佐渡方面を測量
1805年(文化4年) 61歳 第5次測量 瀬戸内海・山陰方面を測量
1808年(文化5年) 63歳 第6次測量 四国・伊勢方面を測量
1809年(文化6年) 66歳 第7次測量 中国・甲州街道方面を測量
1811年(文化8年) 69歳 第8次測量 近畿から江戸方面を測量
1815年(文化12年) 70歳 第9次測量 江戸・伊豆七島方面を測量
1816年(文化13年) 71歳 第10次測量 江戸府内の測量誕生大日本沿海輿地全図作成に着手
1818年(文政1年) 73歳 八丁堀亀島町で死去
1821年(文政4年) 『大日本沿海輿地全図』が完成する
https://www.fureai-cloud.jp/tie/doc/view/4955/
50歳までは商人として、伊能家を再建して私財を成しました。
その私財で好きだった暦学や天文学の勉強を51歳から本格的に開始、55歳から異常なまでの行動力で日本中を実測。
16年におよぶ測量で、4万3,000km以上の距離を歩いています。
当時としては異常なまでの正確な日本地図を完成させています。
驚くべき行動力と緻密さです。
「大日本沿海輿地図」は 西洋諸国の人々にとって、驚きと関心を募らせたものとなっています。
「伊能忠敬」の名言
『一身にして二生を得る 』
「一生のなかでまったく異なる経験をすることは二回生きたこと同じである」といった意味です。
これは福沢諭吉の名言ですが、伊能忠敬にぴったりの言葉です。
第一の人生は商人として財を成し、名主として地域の盟主となり人望を集めました。
50歳から地図作成に命を賭け、史上稀に見る輝かしい第二の人生を貫いた人物です。
平均寿命の伸びは現代においては、誰もが二生の達人にならなければならないのではないでしょうか。
『 歩け。歩け。続けることの大切さ 』
意味を解説するまでもありませんね。
平均寿命が40年から50年の江戸時代に、50歳から 23年間で4万キロを越える距離を歩いて、実測をしました。
「継続は力なり」を自でいく人です。「言うは易し、やるは難し」ですね。 緩急をつけること 休みを入れることが上手な人だったんでしょうね。
『 人間は夢をもち前へ歩き続ける限り、余生はいらない 』
仕事と遊びを正反対として捉えるのではなく、一体のものとして捉える。
ワークとライフを正反対として捉えるのではなく、ワークそのものがライフである。といった考えでないと、ついていけません。
夢をかなえるために努力を惜しまない人です。
『 天文額や暦学の勉強や国々を測量することで、後世に名誉を残すつもりは一切ありません。いずれも自然天命であります 』
天命という言葉が非常に重たいです。自分ではなんともしがたいものである。宿命として地図を作るという境地だと思います。
継続するには
一番すごいのは第二の人生でこれだけ測量を継続できたのは何なのでしょうか?
私の場合、続けてこれたと言えるものはランニングぐらいしかありません。
きっかけはダイエットです。体重が90kgを超えてきて、これはまずいと思ったからです。
走り始めたのが 1995年 (平成7年)中断したこともありましたが、 2007年(平成19年)にマラソン大会に参加するようになりました。年に数回マルマラソンやハーフマラソンに参加しています。フルマラソンで3時間を切りたかったのですが自己ベストは3時間7分です。
どうして継続できたか?
忠敬のように大きい志でも天命でもありません。
強いて言えば、走ることランニングが生活の一部になっていったとしか思えません。
走らないと気持ちが悪い。
走らないと今日一日が終ったような気がしない。
60才になりスピードは相当落ちましたが、続ける気持は落ちていません。私と忠敬とは比べようもありませんが、忠敬もこのような気持ちでいたのではないでしょうか
日々やるべきことをやる。
測量、観測を淡々とやる。
なぜやるのか?
忠敬の境地では家族のためでも、他人のためでも、お国のためでもなかったのではないでしょうか?
好きなことをやり通した。そこには理由はない。
好きなことができるのは第二の人生が最適です!! 伊能忠敬を見習え
まとめ
伊能忠敬は商人として財を成し、併せて名主として地域の盟主となり人望を集めました。50歳から地図作成に命を賭け、史上稀に見る輝かしい第二の人生を貫いた人物です。
50歳から 23年間で4万キロを越える距離を測量のために歩きました。「継続は力なり」を自でいく人です。 どうして継続できたのでしょうか?
天命として地図を作るという境地です。 日々やるべきことをやる。測量、観測を淡々とやる。
好きなことをやり通した。そこには理由はない。
好きなことができるのは第二の人生が最適です!! 伊能忠敬を見習え