【書評】『孤独のすすめ-人生後半の生き方』五木寛之 著

書評

60代になってサラリーマンを退職。
退職後の人生については考えないでもなかったのですが、再就職せずこのブログを続けています。

投資はサラリーマン時代には、まったくしてきませんでした。
時間はたっぷりあったので少し投資の勉強をして「つみたてNISA」や投資信託を始めました。

含み資産ですが若干のプラスです。
長期投資が良さそうなので、放ったらかしの状態にしています。

毎日の上がり下がりを見ていると精神衛生上良くないのもあって、見ないようにしているのもありますが。

お金の方は年金が受給開始までノラリクラリと食いつないで行こうと思っています。
それ以上に最近不安なのが、「今後の人生をどのように生きていけばいいのか?」ということです。

若いときから定年前までは「友達」「勉強」「結婚」「仕事」「子供の教育」等などに追われて、人生の生き方について考えるヒマもなかったといったところが本音です。

60代になると頭髪は白く、猫背になり、もの忘れが多くなってきました。
老後資金も不安なのですが、それ以上に徐々に衰えていく肉体、認知症になるかもしれないという不安、最後は一人になって死を迎えるかもしれない等を考えると居ても立っても居られません。

そんな時に作家の五木寛之氏の書籍『孤独のすすめ-人生後半の生き方』と出会いました。
サブタイトルの””人生後半の生き方””が気になって読んでみました。

思慮深い文章で共感できる点がいくつもありました。
わたしと同じような悩みをお持ちの方には参考になる1冊です。

スポンサーリンク

本の基本情報

書 名 『孤独のすすめ-人生後半の生き方』
著 者 五木 寛之
発行所 中央公論新社
発行日 2019年5月1日

著者紹介

著 者 五木 寛之(いつき ひろゆき)

1932年福岡県生まれ。
生後まもなく朝鮮にわたり、47年に引き揚げる。
52年早稲田大学露文科入学。
57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで吉川英治文学賞を受賞。
また英文版『TARIKI』は2001年度「BOOKOFTHEYEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞。
10年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞。
著書に『如』『大河の一滴』『林住期』など多数。
独自の批評、評論活動でも知られ、エッセイ集『風に吹かれて』は総計460万部のロングセラーになっている。
現在、泉鏡花文学賞、吉川英治文学賞などの選考委員をつとめる。

本の目次

はじめに
第1章 「老い」とは何ですか
第2章 「下山」の醍醐味
第3章 老人と回想力
第4章 「世代」から「階級」へ
第5章 なぜ不安になるのか
第6章 まず「気づく」こと
おわりに

キーワードの解説

「愁い」

人生の最後の季節を憂鬱に捉えるのではなく、おだやかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみと味わう。

「秋」の「心」と書いて「愁い(うれい)」、秋風が吹くなかで物寂しい心情をあらわす言葉です。
「憂い」も「うれい」です。

「愁い」は情緒的、主観的な「うれい」、「憂い」俯瞰的、客観的な「うれい」と微妙に違いがあります。

人生の最後の季節をしみじみと味わおうと言われても、ある一定の境地に達していないと理解することは困難な心境ですね。

私のような若輩者では理解し難いです。

「諦める」

勇気をもって現実を直視する。それが「あきらめる」ことなのです。覚悟する、といってもいい。

「諦める」は「元々の意味は明らかに極める」という意味だそうです。
現実に目を背けず、まず事実を見つめることが「諦める」です。

老化していく自分の肉体を直視し、事実として捉えることです。
衰えていく身体に対して、こんなはずではないと嘆くのではなく、老化するとはこういうことだと理解して、その上でなにをすべきかを考える。

これが著者のいう「諦める」であると理解しました。

「生きる意味」

「この世界がどう変わっていくのか、見ていたい」
そのために長生きがしたいと思う。

今後の世界の変容がみたいというのは理解に苦しみます。
長生きしたいのは、生物の本能でしょう。

死ぬのが怖いという本能的な心情が、生きていたい気持ちになると思います。
夫婦、家族や友達と楽しい日々を過ごして、しあわせな人生を送ることが生きる意味だと思うのですが?

「孤独」

ひとりで生きていても、鳥や樹木や多くの自然と共生している感覚があるので、決してひとりではなかった

人とのつながりがなくても、自然とのつながりがあります。そういう意味では孤独ではない。
和歌的な世界観ですね。

「衰え」

自分の現状を明らかに究めて、受け入れる。受け入れた上で、視点を転換して、そこに新しい展開を模索する。それが、大事なのではないか。

衰えていく肉体をどうコントロールし、衰えをカバーして、どううまく運用していくか。自分の体と相談しながら工夫することを、ひとつの楽しみにしていく。

まず、衰えていく現実に目を背けず、現実のものとして受け入れる。
次に、そこを出発点としてどうあるべきか考える。

「嫌老感」

「老人はおしなべて社会的弱者である」と言うイメージは、今やこの社会から一掃された感があります。その結果、「同情」に変わって生まれたのが、下の世代からの反感であり、「嫌悪」の感情なのでしょう。


今どきの高齢者は多くの資産を持ちながら、年金の多くもらっている。それに引き換え、貯金もなく年金が支給されるかどうかもわからない自分たちはどうするばいいのか?
こんな「嫌老」という感情が広がりつつあると著者は言う。

言われると「そうだな」というのが実感です。
年金だけでなく税金についても、多額の資産があるが所得はない高齢者には課税されない。一方、資産がなく僅かな所得に課税される。
若者は大きな不公平感を感じていることが「嫌老感」を生み出しているのか。

「高齢者の自立」

高齢者になっても、自分たちが弱者であると言う意識を捨てて、自立しなければなりません。

自立した老人が、未来の社会に対して積極的に貢献する。

「嫌老感」を解消策の1つとして高齢者が自立することを訴えています。
高齢者だから引退して年金生活を送ればいい。

そのような消極的な姿勢ではなく、できる範囲でいいから社会に貢献しようと。
私にとっては身につまされる思いです。

「憎悪」

今のところは、「豊かで鈍感な老人への反感」くらいのレベルで済んでいます。でも、このままいけば、「嫌悪」、そして「憎悪」にまで昇つめていくのではないか。

本書では金食い虫の高齢者を口減らしすることを意味する「老人駆除」という物騒な言葉で言っていました。

この文面を読んでいて、先日見た映画「PLAN75」とダブりました。
「老人駆除」ほどには過激ではないですが、「PLAN75」は高齢者を減らす目的で、75歳以上の高齢者が自分の生死を選択できる制度「PLAN75」が施行され、それに伴う人間模様が描かれています。

「心配停止社会」

みんながするべき心配から意識的に目をそらし、お気楽に日々を送る日本の現実を、私は「心配停止」社会と名付けました。

「心配停止」のまま、いたずらに時を過ごし、これといった針路も定めぬまま歩みを進めた結果、期せずして「嫌老が当たり前の社会」を現出させてしまうことなのです

「心配停止」社会は著者の造語です。
現実を見て見ぬ振りをして、問題解決を棚上げして時間だけが無駄に経過してしまっている社会のことを「心配停止」社会と読んでいます。

著者は問題を後回しにして現実逃避していることを非常に心配しています。

高齢化、少子化、人口問題、年金、国の財政等などを棚上げ、1個人が考えたところで解決できることではないという諦めが蔓延している社会が「心配停止」社会です。

「産業意識の転換」

産業の担い手も市場も、高齢者を切り口に発想していこう、すべてをそこにフォーカスさせた構造改革を実現しよう

”老人カルチャー”を理解し 認識すれば、そこからまた新たな産業や市場が生まれる可能性もあるでしょう。

高齢者に「静かに」していてもらうのではなく、より一層、社会の前面に出て奮闘してもらおう。

簡単にいうと「高齢者をターゲットにした製品開発に力を入れよう」ということです。
製品開発やマーケティングに高齢者の意見を取り入れるのは当然ですが、それだけではなく高齢者自身が直接取り組む。
高齢者の方にも汗をかいてもらう。そんな高齢者産業を創生することを提唱しています。

参考に以下に私が過去の読んだ「シニアビジネス」に関する書籍を2冊紹介します。

「賢老社会」

「産業意識の転換」をつうじて「嫌老社会」から「賢老社会」へ。
自立した高齢者が生き生き暮らしている「賢老社会」

最後に

最後まで読んでみてタイトルの「孤独のすすめ」に違和感が生じました。
孤独を著者なりに掘り下げて話が進むのだと思っていたら「嫌老社会」への警告の本でした。

原因がわかりました。単行本で出版したときには「嫌老社会を超えて」であったものを、新書判を出す時に大幅に加筆したようです。

ちょっと拍子抜けはしましたが、著者ならではの今後の生き方のヒントがいくつも述べられており、大いに参考になり、これはこれで良かった思います。

最後に著者の五木寛之様、2022年7月現在で満91歳です。お体をご自愛いただきますよう願いしたします。
60代の私に生きるヒントを多数いただきありがとうございました。

ますますの活躍をご祈念申し上げます。

コメント