【書評】『死は存在しない~最先端量子科学が示す新たな仮説』田坂広志 著

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60歳を過ぎると死について考えることが増えてきました。別に自殺したいわけではありません。
親族、親戚、会社の先輩であった人の葬儀に参列することが多くなるに連れて、遠くないいつか自分にも死がくることを自覚せずにはいられなくなってきます。

次の本を読んだりしましたが、どうしても死後があるとは思えません。

そんな折、「死は存在しない」というセンセーショナルなタイトルの本が出版されました。

私のような死後はなにもないと思っている人
死後に別の世界があると思っている人
死後に別の世界があるが、それを認識できないと思っている人

このように死後の存在については死生観、宗教観もありいろいろな立場があるとは思いますが、現時点でわかっている科学的なアプローチに基いて書かれた本です。

死後について宗教と科学を結びつける架け橋になる本です。
死後について今までにない方法で語った本です。
量子物理学の用語がでてきますが、限りなくわかりやすく書かれた本です。

目次

本の基本情報

書 名 『死は存在しない~最先端量子科学が示す新たな仮説』
著 者 田坂 広志
発行所 株式会社光文社
発行日 2022年10月30日初版1版

    2022年10月19日電子書籍版

著者紹介

著 者 田坂 広志(たさか ひろし)

1951年生まれ。
1974年東京大学卒業。
1981年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。
1987年米国シンクタンク・バテル記念研究所客員研究員。
1990年日本総合研究所の設立に参画。取締役等を歴任。
2000年多摩大学大学院の教授に就任。現名誉教授。
同年シンクタンク・ソフィアバンクを設立。代表に就任。
2005年米国ジャパン・ソサエティより、日米イノベーターに選ばれる。
2008年世界経済フォーラム(ダボス会議)のGlobalAgendaCouncilのメンバーに就任。
2010年世界賢人会議ブダペスト・クラブの日本代表に就任。
2011年東日本大震災に伴い内閣官房参与に就任。
2013年全国から7300名の経営者やリーダーが集まり「21世紀の変革リーダー」への成長をめざす場「田坂塾」を開塾。
著書は100冊余。

本の目次

序 話  この本を手に取られた、あなたへ
第一話  あなたは、「死後の世界」を信じるか
第二話  現代の科学は「三つの限界」に直面している
第三話  誰もが日常的に体験している「不思議な出来事」
第四話  筆者の人生で与えられた「不思議な体験」
第五話  なぜ、人生で「不思議な出来事」が起こるのか
第六話  なぜ、我々の意識は「フィールド」と繋がるのか
第七話  フィールド仮説が説明する「意識の不思議な現象」
第八話  フィールド仮説によれば「死後」に何が起こるのか
第九話  フィールド内で我々の「自我」(エゴ)は消えていく
第一〇話 フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか
第一一話 死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していく
第一二話 あなたが「夢」から覚めるとき
終 話  二一世紀、「科学」と「宗教」は一つになる

キーセンテンスの解説

ゼロ・ポイント・フィールド仮説」

ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、「波動情報」として「ホログラム原理」で「記録」されているという仮説だからである。

ホログラム原理とは、波動の「干渉」を使って波動情報を記録する原理のことであり、位相を変えた「波動」同士が互いに干渉するときに生まれる「干渉縞」を記録することによって、高密度の情報記録を可能にし、鮮明な立体映像の記録も可能にする原理である。

ゼロ・ポイント・フィールド」に「波動」として記録された情報は、決して、エネルギーの減衰に伴って消えてしまわない。

量子真空」とは宇宙が存在する前の何もない真空の状態のこと。なにもないが膨大なエネルギーだけが存在しているという。
そのエネルギーを「ゼロ・ポイント・エネルギー」と言うそうです。

また情報が消えてしまわないということは、宇宙の過去から現在の情報がすべて記録されていることを意味するそうです。

「何これ?」ですね。正直なところ意味がわかりません。
著者はオカルト的でもスピリチアル的でも宗教的見地から言っているのではなく、量子物理学の見地から述べているそうです。

増々わからなくなってきました。

意識の5つの階層

第一の階層は、「表面意識」の世界である。これは、我々が、日常生活を送り、日々の仕事に取り組むときに最も活性化している意識の世界である。

第二の階層は、「静寂意識」の世界である。これは、我々が、日常の生活や仕事から離れ、「静寂」を保っているときの意識の世界である。

第三の階層は、「無意識」の世界である。これは、「表面意識」や「静寂意識」の奥にある、我々自身が気づいていない意識の世界である。

第四の階層は、「超個的無意識」の世界である。この「無意識」の世界のさらに奥深くに、我々の「無意識」がゼロ・ポイント・フィールドを通じて互いに繋がった世界がある。

第五の階層は、「超時空的無意識」の世界である。我々の「無意識」がゼロ・ポイント・フィールドを通じて互いに繋がった「超個的無意識」の状態をさらに超え、我々の「無意識」がゼロ・ポイント・フィールドと深く結びついた意識の世界である。

静寂意識」「無意識」「超個的無意識」「超時空的無意識」の四つの階層が、ゼロ・ポイント・フィールドに繋がることができる「意識の状態」である。

表面意識であるエゴがなくなると、次のようなことが起きると言う。

  • 直感が働く。
  • 無我の境地に入る。
  • 以心伝心が起きる。
  • 予感・予知現象が起こる。

神とは

「神」や「仏」や「天」とは、宇宙の歴史始まって以来の「すべての出来事」が記録され、人類の歴史始まって以来の「すべての叡智」が記録されている、この「ゼロ・ポイント・フィールド」に他ならない。

なかなか説得力のある言い方です。神や仏と言っているものは「ゼロ・ポイント・フィールド」のことですよということです。
しかし個人的には「ゼロ・ポイント・フィールド」が理解に苦しむので、すんなりと腑には落ちません。

死後について

肉体は死滅しても、「我々の意識の情報」は、ゼロ・ポイント・フィールド内に「永遠の記録」として残り続けるだけでなく、さらに変化を続けていくのではないか、すなわち、「生き続ける」のではないか。

死後も生きていたときの記録がゼロ・ポイント・フィールド内に残り続けるまでは理解できるが、「生き続ける」とはどういう意味だろうか?

著者は「湖上の風が止んでも、湖面の波は動き続けていく。」と言うが、湖面の波もいつかは消えていってしまいます。
波動であっても永遠に変化し続けることはないです。

深層世界

ゼロ・ポイント・フィールド内には、 「現実世界」と全く同じ、「深層世界」が存在している。

「現実世界での私」と全く同じ、「深層世界での私」が存在している  のであり、言葉を換えれば、「現実世界」を生きている「現実自己」に対して、 「深層世界」を生きている「深層自己」と呼ぶべきものが存在している。

ば、「現実自己」が死を迎え、消え去った後も、ゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」は、残り続ける。

「現実自己」が死んでも「深層自己」は死なないと言っているが、理解できません。
ゼロ・ポイント・フィールドですべての情報が記録されるのなら、「死んだ」ということも記録されるのではない。か?

死だけが特別なことと考えるのは理解に苦しみます。
著者は死によって徐々に「表面意識」はなくなり、それ以外の意識は残る。つまり死なないという立場です。
何かおかしくありませんか?

「死」は存在しない。

「私とは、この自我意識である」と信じるかぎり、あなたの意識がゼロ・ポイント・フィールドに移った後、いずれ、その「自我意識渡してゃ」は、消えていく。そして、「超自我意識」へと変容していく。
それゆえ、その意味において、「自我意識」にとって「死」は存在し、それも、必ずやってくる。  しかし、もし、あなたが、「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この『宇宙意識』そのものに他ならない」ことに気がついたならば、「死」は存在しない。

「私とは「宇宙意識」である。」にはついていけません。
死によって自我意識はなくなるが、宇宙意識があれば死なないということでしょうか?

最後に

著者の主張を一言でいえば、「私とは「宇宙意識」であると気づけば「死」は存在しない。」です。個人的にはそのような境地にはなかなかなれません。

最も気になったのが、「ゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」は、残り続ける。」この根拠を示していただければなお良かったです。(私の読み込みが浅いせいもありますが……)

しかしながら本書は「科学」と「宗教」を統一することを試みた画期的な本であると感じました。
最後は宗教色の強い言い方が増えていますが、できるだけ量子物理学の専門用語を使わず、簡潔に書かれているため、非常に面白く読ませてもらいました。

最後に著者の田坂広志様、次回作は一層科学サイドからの死についての出版を期待しております。
ますますのご活躍をご祈念申し上げます。

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